朝日は昇る

普通の高校三年生。勉強に疲れたりストレスが溜まったりすると文章を書きたくなる。

程度の大きい単語

若者言葉は理解しにくいという話をよく聞く。私を含め若者は普段から使っているので何の違和感もないが、少し歳が離れると分からなくなってしまうのだろう。

 

そこで、今回は若者の使う単語を少し解説してみようと思う。闇雲に解説するのも面白くないので、程度の大きいことに対して使う単語を二つ扱ってみたい。

 

・「やばい」

まず初めに思いつくのはこの単語だ。程度が大きいことであれば基本的にどんな時にでも使う。

例えば可愛い犬を見つけた時には「やばい、可愛い」と言うし、頭がはち切れそうなほど痛い時には「頭痛い、やばい」と言う。これらはそれぞれ「とても可愛い」「とても頭が痛い」と同じ意味である。

この二つの例から分かる通り、程度が大きければ使える。プラスイメージ(可愛い)にもマイナスイメージ(頭が痛い)にも使える。

 

ただし、この単語は「ピンチ」を意味する時にも用いられることがある。とある有名な芸人が「やばいよやばいよ」と言うのは有名だが、これは危機的状況であることを指している(危機的状況の程度は大きいので、単語の根幹は変わっていないのかもしれない)。

 

ただ、この言葉は結局は文脈判断しなければならない(全ての言葉は文脈判断しなければならないとは思うが)、ということを紹介しておきたい。例えば、明日提出しなければならない課題が全く終わっていない時、「やばい、終わらない」と言うことがある。これは二つの考え方がある。一つは「課題の量が多すぎる、終わらない」と捉える方法、そしてもう一つは「終わらさないと怒られてしまう、でも終わらない、ピンチだ」と捉える方法だ。どんな単語でもそうだが、自分の思った通りの解釈をしてくれない可能性がある。とくに「やばい」のようなふわふわとした単語はより一層この傾向が強いだろう。

 

・「鬼」

若者言葉を知らない人からすれば、急に妖怪の話を始めるのかと困惑しているかもしれない。本来は全身赤色だったり青色だったりして、金棒を持ってとても強そうな妖怪を指す言葉だが、これも程度が大きいことを表す言葉になっている。

例えば解法が思いつかない問題に直面した時、「鬼難しい」という時がある。これは「とても難しい」と同じ意味だ。先程の「やばい」は形容詞だったのに対して、「鬼」は副詞的に使う。

(下書きを読み返して思いついたことをここに記しておきたい。この「鬼」という単語は「この問題、鬼じゃん」のように使うこともある。これも「この問題は難しい」と同じ意味である。必ずしも副詞的に使うという訳では無さそうだ。)

 

ちなみに、「やばい」と「鬼」を合わせて使い、「鬼やばい」という表現も無い訳では無い。こうなってくると、重ねれば重ねるほど程度が強くなって指数関数のようになっていきそうだが、「鬼やばやば鬼鬼やばい」のような表現に出会ったことは無い(もしかすると私が出会ったことが無いだけなのかもしれない)。

 

 

いかがだっただろうか。若者言葉を全く使わない人からすれば、本当に使われているのか疑っている人もいるかもしれないが、今日の若者の会話に限らず、ライトノベルやゲーム、アニメなどにも使われている単語である(これでも疑っている人がいるかもしれないので一例を挙げると、某太鼓をドンドコ叩くリズムゲームでは、「むずかしい」よりも難易度の高いものは「おに」という名称が付けられている)。ブログなどに小説を投稿している方の作品を見ていると、出てくる青年が妙に若者になりきれていない日本語を使っている時があり、言葉は変わっていくものなのだなぁとしみじみしつつも、少し読みにくく感じたり訂正を入れたいと思ってしまったりする(これはあくまで一若者の意見として捉えて頂きたい)。

 

文章を書く人にとって少しでもこれが役に立つことを願っている。